七生報国 天皇陛下万歳

昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫が  胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花

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天皇陛下御在位二十年・奉祝提灯行列と行岡豊翁

昨日は、皇祖天照大神をお祭りする伊勢、皇大神宮に置いて、天皇陛下ご在位二十年の奉祝提灯行列が催行された。

2000人を上回る参加者と共に、天皇、皇后両陛下に感謝の誠を捧げ、益々のご健康とご長寿をお祈り申し上げつつ、暗闇の中、提灯の灯りに導かれながら、内宮に参拝した。

有難さに涙が零れ、日本人としての喜びが体中に満ち溢れたひとときでった。

実は私にはもうひとつ、涙が溢れる理由があった。
この奉祝行事を見ることなく、私の父のような存在であった行岡豊翁が、11月10日に逝去されたからだ。

強い信念を持っておられながら、決して頑迷ではなく、若者の意見にも真剣に耳を傾けてくださる稀有な方であった。

私などは、一応は女ということで、常に甘えさせてくださった。

政治家の売国的言動に憤慨し、眉間に皺を寄せて怒り狂う私に、「まぁ、そんなに怒るな。」と宥め役に回ってくださったり、

良い知らせには、「えっ、えぇ~、えぇ~!」と驚いた顔で応えてくださった。

行岡さんは今年に入ってから体調を崩され、津市内の病院で療養生活をされていたのだが、お見舞いに行くたび、「いつもすまんなぁ。あぁ、志半ばやのに情けないわ。はよぅ、こんなとこと縁を切らな、な~んもできやん。おぉ、ところで何か情報はないか?」と仰った。

病床でも毎月、数万円の書籍を購入され、特に「正論」は愛読書であった。

今年の総選挙以降、お見舞いに行くたび、「あかんことはいっぱいあるんやけど、ワシが一番、死んでも死に切れやんのが「「皇室」」のことや。悠仁親王殿下が皇位に就かれる頃、皇室には藩屏がいなくなる。これは、有史以来の一大事や。お前、今は民主党政権のことばかり怒ってて忙しいやろけど、この運動もしてくれよ。これが一番大事やぞ。」と、繰り返し仰っていた。

昨日の提灯行列も、この夏までは、「それまでによくなって、一時でも退院できたら、車に乗せて行ってくれよ。」と、楽しみにされていた。

しかし、お盆を過ぎた頃には、回復の兆しがないと諦めたのか、「お前の持った提灯でええから、見せて欲しい」と、弱気になっておられ、私が「見せるだけじゃなく、私の提灯を行岡さんに進呈するからね。」と言うと、「そんなん、悪いやん。お前も欲しいのと違うのか。」と遠慮された。

そんな、数え切れないやり取りが、こんなに早く「思い出」となってしまい、高齢であったとは言え、私に取っては父のような存在であった行岡さんの死を受け入れるには、まだまだ日にちがかかるであろう。

昨日は行岡さんのお葬式であったが、一昨日のお通夜で最後のお別れを済ませ、私は提灯行列に参加した。

そのほうが、きっと行岡さんが喜ぶに違いないと思ったからだ。
2000人を超える人が集まり、提灯の美しい灯りの列が粛々と続き、参加者一同、陛下に感謝の誠を捧げる姿を、冥土への道すがら、ご覧になっているに違いない。

明けて本日、昨晩の提灯を行岡さんのご霊前に捧げるため、ご自宅に伺った。生憎、ご家族はお留守であったが、書斎の窓から行岡さんの遺影が見える。私は、提灯に灯りを点し、遺影に向って敬礼した後、号泣してしまった。ご家族のお留守が幸いであった。

私は今、桜組で「NO!民主党」を訴えているが、「皇室の藩屏」は必ず運動しよう。行岡さんからの遺言だから・・・。

そう決心しながら帰途に着き、思わず私は幸せ者だと思った。

実父からは「自主憲法を制定し、皇室をお護りするように。」と言い置かれ、第二の父とも言うべき行岡さんからは、「皇室の藩屏を確保しろ。」と、遺言とも言うべき言葉を残された。

二人の父が日本の国柄、つまり國體を何より大切に考える人であったことを、心から誇りに思う私である。
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  • 2009.11/23 04:30分 
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