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2011.03/13 [Sun]
国民教育の再生こそが喫緊の課題
昨日は、伊勢神宮内宮、市営駐車場周辺で、「尖閣を守れ!」街頭署名活動を行った。
今回の活動は、県民、県関係者でのみ行ったので、参加者は私を入れて6名であった。
昨日の大地震で参拝客は少ないかと思ったら、いつもの土曜日と変わらないほどの人出であった。
ところが、尖閣事件への関心が薄れたのか、無関心な者が圧倒的であった。
中には、チラシは受け取ったが署名を頼むと「もう随分前のことなのに、無駄ではないのか。」と言う人がいた。
私が「随分前って、昨年9月のことですよ。」と言ったら、「えっ!そうだった?」と驚く始末である。
こんなことでは、領土を盗られても致し方あるまいと感じさせられた。
命懸けで國を護って下さったご英霊、現在の繁栄を築いて下さった先人達に申し訳ない。
日本国民が、これほどまでに国家意識や領土意識を失っている大きな原因は、国民教育の誤りである。
個人の快楽を追及するだけで、公を一切顧ない「自己中心型」の人間が集まり、行政に「銭、寄越せ!」とゆすりたかりを働いているのが、現在の日本の姿かも知れない。
領土を守るということは、主権や国益を守ることである。
独立主権国家としての体を成していない祖国を恥じる気概すら、爪の欠片もない国民に、子ども手当て、高校無償化というばら撒きを行っているのは、「盗人に追い銭」をするようなものである。
私は元々、國の宝である子供には、國としても大いにお金をかけ、その育成に寄与するべきと思ってきたが、それは次世代の日本の担い手として、その使命を十二分に果たしてくれることが大前提である。
現在の日本では、國の恩恵を受けながら「日本は悪い国だから、将来はどうなってもいいや。」という三世代が跋扈し、まるでシロアリさながらに、先人達が血と汗と涙で築いた財産を食い潰しているのだ。
まさに、国民教育の再生こそが、喫緊の課題であろう。
ここに触れない政治家は、この國を託す資質のない「国賊」であり、これに気付かぬ国民は、一円たりとも血税を分け与える必要のない「愚民」である。
今回の活動は、県民、県関係者でのみ行ったので、参加者は私を入れて6名であった。
昨日の大地震で参拝客は少ないかと思ったら、いつもの土曜日と変わらないほどの人出であった。
ところが、尖閣事件への関心が薄れたのか、無関心な者が圧倒的であった。
中には、チラシは受け取ったが署名を頼むと「もう随分前のことなのに、無駄ではないのか。」と言う人がいた。
私が「随分前って、昨年9月のことですよ。」と言ったら、「えっ!そうだった?」と驚く始末である。
こんなことでは、領土を盗られても致し方あるまいと感じさせられた。
命懸けで國を護って下さったご英霊、現在の繁栄を築いて下さった先人達に申し訳ない。
日本国民が、これほどまでに国家意識や領土意識を失っている大きな原因は、国民教育の誤りである。
個人の快楽を追及するだけで、公を一切顧ない「自己中心型」の人間が集まり、行政に「銭、寄越せ!」とゆすりたかりを働いているのが、現在の日本の姿かも知れない。
領土を守るということは、主権や国益を守ることである。
独立主権国家としての体を成していない祖国を恥じる気概すら、爪の欠片もない国民に、子ども手当て、高校無償化というばら撒きを行っているのは、「盗人に追い銭」をするようなものである。
私は元々、國の宝である子供には、國としても大いにお金をかけ、その育成に寄与するべきと思ってきたが、それは次世代の日本の担い手として、その使命を十二分に果たしてくれることが大前提である。
現在の日本では、國の恩恵を受けながら「日本は悪い国だから、将来はどうなってもいいや。」という三世代が跋扈し、まるでシロアリさながらに、先人達が血と汗と涙で築いた財産を食い潰しているのだ。
まさに、国民教育の再生こそが、喫緊の課題であろう。
ここに触れない政治家は、この國を託す資質のない「国賊」であり、これに気付かぬ国民は、一円たりとも血税を分け与える必要のない「愚民」である。
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臍曲爺さん、ようこそ
それはもしかして、外地に取り残したままのご遺骨ではないかと思いました。
実は私も、大きな災害、人災も含めて、国内が混乱するたび、「ご遺骨を放置したままなので、こんな悪しきことが起こるのかも知れない。」と、思っておりました。